Episode zero

Once upon a time...

子供達の人気No.1

ものごころついた頃より虫が好きで、平仮名とカタカナは『昆虫の図鑑』で覚え、「大人になったら虫博士になりたい!」と言っていた幼少の頃、家の周りにも様々な木々があり、春のタテハチョウの採集から始まり秋のバッタ類カマキリ類の採集など、雪が降る直前までは延々と野原や田んぼを飛び回って遊んでいました。

当時(幼稚園の頃くらい)は両親に連れて行ってもらえる卯辰山がお気に入りでしが、交通手段がバスや市内を通っていた路面電車だったために当然昼間に行く事が殆どで、夜行性の昆虫を採集することはなかなか出来ませんでした。それでも稀に街灯下の側溝やちょっと奥に入った遊歩道から突き出たクヌギで捕まえる事が出来たカブトムシやノコギリクワガタが、本当に大切な宝物の様に感じていました。かなりヒネてしまった今考えても純粋な昆虫大好き少年だったんですね~ 遊歩道を飛び交うハンミョウや大型のアゲハ類,ヤンマ類,ミンミンゼミなど、一生懸命に捕虫網を振って捕獲を試みたものです。その当時もっとも感動したのが卯辰山墓地の納骨堂付近でヤマトタマムシを採集したことでした。その輝くボディを初めて見た時、こんな綺麗な虫が世の中に存在することに大変驚いたものです。因みにその時のタマムシは、その後に始まった6年間の小学校生活において毎年の夏休みの作品の標本として活躍することになります。

平家物語に登場する玉蟲姫との関係は…

近所の田んぼと用水,神社の境内,そして裏庭が主なフィールドだったあの頃、家の前の打ち水に寄って来るアオスジアゲハや、家の前を流れる用水の上を飛ぶギンヤンマの採集に一生懸命になったり、高い樹上ばかりで鳴くツクツクボウシやヒグラシを採集するために釣竿を改良した特製の網を持って、時にはご近所の庭先にまでもお邪魔して虫捕りをしていました。

小学校も三、四年生になると、1人でも河川敷などに採集に出掛ける様になります。当時はフナやナマズなど川釣りも好きだった事もあり、多くのMyPointは河川敷近くにありました。アカシアとヤナギが混生する場所ではゴマダラカミキリを多数採集しましたし、また同場所でカブトムシ,コクワガタ,ノコギリクワガタ,ヒラタクワガタが採集出来ました。その頃になると、それら夏を代表する甲虫類の飼育方法を図鑑で学び、近所の額縁作成工場に頼み込んでオガクズを貰い、学校から持ってきた腐葉土と混ぜた飼育マットをプラケースに敷き詰めて飼育を楽しんでいました。

平野部では殆ど見つからないのだが…

有る年、今考えれば大変貴重な体験を2つすることになります。1つはいつもの河川敷での事。胡桃の大木に出来た洞の中にミヤマクワガタを発見した事です。河川でもかなり下流域にあたるその場所では、それ以前も以降もミヤマクワガタに出会うことはなく、恐らく流木に付いてきたか流木に穿孔していた幼虫が羽化したものかと推測しますが、当時ミヤマクワガタを採集するためには家からかなり離れた金沢市でも山間部まで出掛けていく必要があったため、下流域しか知らない私や仲間の虫少年にとっては非常に貴重な虫だった訳です。そのこと(流木に付いてきた?)を確認するため、とある夏の朝早くに友達と待ち合わせて自転車で川の上流を目差して数時間(当時はギア無しの子供用自転車でした)…ようやく辿り着いた上流部の電柱の街灯下(昼でしたけど…)でミヤマクワガタの頭部を発見して大喜びしたのでした。

もう一つも同じ様な場所でのこと。これまでに図鑑でしか見たことがない虫を採集したことです。それは、その辺りではただ1本だけ生えていたクヌギの洞に挟まっていたのを見付けたものですが、今より数段身軽だったあの頃は「昆虫採集=木登り」が当たり前のことであり地上2M近くにあったその洞も難なく木登りして発見したものでした。当時はピンセットや掻き出し棒も持たず懐中電灯すら持っていなかったのですが、見付けた瞬間に同定出来るほどのインパクトがありそれまでの採集経験上、一番のドキドキ感がありました。発見から採集完了まで5時間程度掛かったその虫は紛れもないオオクワガタだったのです。その後は伐採されるまでの数年間その木に通う事になりますが、同じ洞に挟まっているクワガタと思しき個体を見掛けただけで、残念ながら追加採集することは出来ませんでした。

レッドデータブック石川県版に情報提供した標本

虫に関する意欲は小学校を卒業しても萎える事は無ありませんでしたが、中学,高校と多忙になると共にある種の気恥ずかしさが芽生え始め、中々『採集行くぞ!』と気合を入れての昆虫採集や飼育をすることは少なくなりましたが、友達には内緒で時にはクワガタ,時にはヤゴの飼育などで虫に接していましたし、『散歩』と称しては近所のMyPointをチェックする事は怠りませんでした。

この頃から、急速に身近の採集地が消滅して行くことになります。(と言うより、この頃から環境変化に気が回り始めた?) それは宅地開発だったり木の伐採だったり、或いは河川敷の改修工事だったり、原因は色々だと思います。人が住む場所の拡大については人が生活する上で様々な事情がありますが、それでもやはり残念な部分も多いです。

それから10数年(20数年?)して訪れた昆虫ブーム! オオクワガタのことが一般的なメディアで取り沙汰される様になり、インターネットの急速な普及に伴って昆虫全般に対する底辺が膨大に拡大していくことになりました。この夏(2003年)など、冷夏だったにも関わらず県内各地のクワガタ生息地では非常に高い採集圧が掛かっており人手によって潰れた生息地も多くあると聞きました。樹皮捲れを剥がす等は言うの及ばず、私が目撃した最も酷い状態になってしまったヒラタクワガタの生息地には、洞をそのままチェーンソウかノミなどでくり貫いた痕が残った柳の大木が残されていました。私と私の友人達には「無理なく採り出せれば人の勝ち,隠れきったら虫の勝ち」と言う共通のポリシーがあります。生息地を破壊・消滅させていては発展も無く残るものも何もありません。

最近のネット上には所謂「採集記」サイト(殆どがクワガタ採集が中心ですね)がたくさんあり、楽しい採集記を読むことが出来かつ採集のみならず飼育等に関しても非常に多くの情報を簡単に入手することが出来る様になったと思います。ただ、その採集記サイトの管理者の方々も、決して生息地について多くを語る方は少ないと思いますが、それは自らが通う生息地に関する情報をただ教えたくないだけでなく、書籍で生態を学び、地図を読んで生息地を想定し,自ら歩くなどの行動をする探索からが、既に採集の楽しみが始まっているからであり、その事を多くの方に判って頂きたいからに他ならないと思っています。この夏(2003年)はそういうことを深く考えさせられる事件が多数発生しました。そんな話を友人達としていた時、じゃあいっそ、我々虫好きとして真剣な考えを持った虫会を立ち上げないか?との話が持ち上がり、本会誕生となりました。

石川県には「石川虫の会」様「百万石蝶談会」様という諸先輩方が集う、昆虫関係の立派な会が既に存在しますが我々程度の知識や経験で諸先輩方と同席するには敷居が高く、けどそれなりの行動力と独自の観点での採集のコツや経験則などを持ち合わせている仲間だとの自負もあり、今後は長い年月を掛けて諸先輩方がつくられた会の様に正しい認識を持って理解される会にしていければと考えています。

 

2003年11月26日 白山好虫会

LastUpDate 2016.01.11